1945年(昭和20年)、終戦。 焼け野原となった日本から、復興の兆しが見え始めるとともに、ラベルの製造もまた力強く復活します。 物が不足がちな時代にあって、新たな商品が売り出されれば、それに貼られるラベルやシールも、また必要となります。
しかし、物資が足らないのは、ラベルの材料も同じ。ラベル製造に携わっていた職人たちは、焼け残った印刷機をメンテナンスし、インキや紙、版などの資材をかき集めると、再び製造を開始します。
そのような混沌とした時期の1946年(昭和21年)、戦災から焼け残った東京・浅草の平山秀山堂は、日本政府から30銭切手(当時)の印刷依頼を受けます。 2007年に、郵政民営化されましたが、その当時まで、郵便切手が民間企業に発注されたのは初めての出来事でした。 デザインは五重塔、菊のご紋章入り。ミシン目加工、のり付きという今の切手と構造はなんら変わらないこの「秀山堂塔30銭切手」は1億枚発行され、戦後 復興の一躍を担ったのです。