「疋田(三浦)賢司氏藍綬褒章受章記念祝賀会」が2月1日、大阪市天王寺区上本町のシェラトン都ホテル大阪で開催された。主催はシール印刷大阪府協同組合(永井謙太良理事長)、同協賛会(吉森正浩会長)ほか。
疋田氏は㈱セイホウ(大阪府大阪市城東区諏訪)社長として、ラベル印刷業に従事する一方、業界団体活動として大阪協組理事長を3期6年にわたって務めたほか、全日本シール印刷協同組合連合会(小宮山光男会長)副会長など要職を歴任。組合はもとよりラベル業界の発展に寄与した功績が認められ、昨年11月、藍綬褒章を受章した。
祝賀会には、全日シール連傘下の各協組理事長をはじめとするラベル業界人のほか、友人、同社社員、親族など150人以上が出席。冒頭、主催者を代表して永井理事長があいさつ。出席者に対して感謝の言葉を述べるとともに、疋田氏について「人と人との結び付きを大切にする気配りの人。私もその人柄に惹かれた一人であり、同氏が務めた理事長の後任として、組合発展に貢献できるように努力したい」と述べた。
続いて来賓を代表し、大阪府中小企業団体中央会の山口春夫専務理事(代読)、全日シール連の小宮山会長、全日本シール印刷協賛会会長でリンテック㈱の大内昭彦社長、大阪シーリング印刷㈱の松口正社長、㈱アオキの青木豊社長が、それぞれ祝辞を述べた。
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来賓あいさつ(要旨)は次の通り。
【小宮山会長】
疋田さんは長期にわたり、大阪協組の理事長をはじめ全日シール連の副会長など数々の要職を務められ、その功績から、今回の褒章を受章されることになったと考えている。さらに、ご本人の品格はもとより、多くの人から愛される人柄といった面が高く評価されたのでは。
われわれ組合の中から、褒章を受章された業界人が現れたことは、今後の業界を担う若手が熱意を持って日々の活動に従事できる環境が整ったことを意味するのではないかと感じている。
褒章の受章により、ご本人は今後、多くの方々との交流によりプレッシャーを感じるケースも少なくないと思われるが、ぜひとも有意義な人生を送っていただきたい。
【大内会長】
疋田さんの受章を、同じラベル業界人の1人として誇らしく感じる。組合の理事長という立場は、各社経営者の立場にある組合員を一つにまとめ、日々の事業活動に取り組むという大変な役職。ですから、組合発展に貢献されたことに対し、敬服している。
疋田さんはまじめで表裏のない人柄であり、セイホウの隆盛を築かれている。ラベル市場は戦後、経済成長率を大きく上回る勢いで拡大したものの、07年のリーマン・ショック以降は伸び悩む傾向にあり、業界全体がやや停滞しているように感じられる。われわれ協賛会は組合と協力し、このような状況に歯止めをかけるべく努力する所存だ。疋田さんには今後も、経営者としてラベル業界のさらなる発展にご尽力いただき、組合と協賛会に対し、引き続き、ご支援賜りたい。
【松口社長】
疋田さんは昨年の理事長退任まで長きにわたり、大阪協組の要職を歴任され、業界発展と社会貢献に務められた。その期間は、崩壊と災害に翻弄され、日本が財産と自信を失った〝喪失の時代〟であり、誰しも組合の価値を見出すことができず、組合活動よりも会社の存続を最優先することは、当然だった。そんな厳しい状況にもかかわらず、疋田さんは共存共栄の信義を貫き、組合の価値創造に尽力され、組合を的確に導かれたリーダーシップに敬意を表すとともに、組合と協賛会を一つにまとめられたご苦労には、はなはだ感服させられた。今回、これらのご功績が褒賞の栄誉として認められたことは、私たち組合員としても大きな喜びである。
私と疋田さんは1992年、FSK(現リンテック)主催の米国研修会で知り合って以降、22年の付き合い。バブル景気崩壊後の先行き不透明な中、米国のラベル業界を目の当たりにし、将来の指針になるものを見つけようと、互いに充実した1週間を過ごした。それ以降、疋田さんとは忌憚なく話せる間となり、これからもこの関係が続くことを願っている。
そこで疋田さんに一言。もしかして褒章を受章してから、ちょっと老けたのでは?その若さで褒章を受章し、満足仕切っているのでは。人生はこれからも続くものであり、思い出に浸るには長すぎる。陰で支えてくれた奥さまに対し「お・も・て・な・し」された?それは「いつやる?今でしょ」。その中身は「倍返し」?
まだまだ老け込んでいる場合ではない。常任理事として組合運営を今まで以上に支え、後身へのご指導・ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げたい。
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引き続き、大阪協組の梅本知秀副理事長から記念品の贈呈、親族を代表し、上田渚さんと西山つかささんから花束の贈呈が行われた。
疋田氏は出席者に対して謝辞を述べるとともに「私は6年にわたり、理事長を務めさせていただいたが、その間に考えたのは、各ラベル印刷会社が成長するためには、業界全体が発展しなければあり得ないということ。このような考えは、当社の創業者であり、13年前に亡くなった私の父の考えでもある。私の父は、初詣の時に『願うのならば、自分1人だけではなく、皆の幸せを願うべき』と言っていた。その教えが、今の私を支えている。私の父には本当に感謝をしている」と話した。
プログラムは、琴の演奏に続いて、大阪協組の永坂雅彦元理事長が乾杯の発声を高らかに行い、出席者は同氏の受章を盛大に祝った。